- 世界の底辺 -

4章 憤怒の残骸。


 夜明け前にも関わらず、純白は身体から熱を発していた。

「くそ! くそ! あのガキどもおおお!」

 股間から聳える男性棒をエルリの中へと突き入れた。

「――――」

 性器は淫靡な水音を鳴らすが、エルリは表情を一切変えなかった。ただ、命令通り、純白を受け入れた。

 性器の擦れ合う音と、純白の呪いの愚痴がねちねちと部屋の中に響いた。

「くそ…! なんで僕がこんなポンコツ女の相手をしなきゃいけないんだ!」

 同じアバターなら、あの少年の連れていた地味な少女の方が、性具としては楽しみもある。あの汚れを知らない田舎娘を犯したい。あるいは氷雨とか言う生意気な女を屈服させたい。

 昨日、掻かされた恥を思い出し、怒った。エルリの肌を掴んでいた手に力が篭り、爪が食い込んだ。またエルリの身体から血が垂れた。

「ちくしょおおおお!」

 ガンガンとエルリの中を突き立て、精を放出した。

「――――っ――っ――」

 黒く、濁った感情が胸の中で残響する。己が屑だという事は自覚している。だからといって更正する気など微塵もなかった。どうしようもないのだ。

「――なんだその目は!」

 哀れんだ目で見るエルリが許せず、頬を力任せに叩いた。エルリはなにも言わなかった。

 コロしたくなった。

 

 

 カーテンの隙間から入り込む朝陽が眩しかった。誰かがベッドを揺すっている。

「ひなた。朝ですよ。起きてください」

 ベッドを揺すっているのは秋田だった。

「あ、あきたさん、おひゃよう…」

「だらしないですよ。ほら、ちゃんと顔洗って、歯磨きしてください」

 ひなたはまだ寝ぼけたまま、秋田に言われるまま洗面所へと向かった。秋田もついてきた。客用の歯ブラシを手に取り歯を磨く。

「秋田さん、朝ごはんどうするの?」

「今朝はレイチェルさんが朝食を用意してくださるらしいですよ」

「へえ…」

 そういえば洋食は最近食べていない。少しだけ楽しみだった。

「あのさ」

「はい?」

「秋田さんって地味って言ったけど、なんか、自分からあんまり喋らないよね」

「そうでしょうか?」

「うん。話しかけたら返事してくれるけど、自分からは話しかけてこないよね」

 秋田は俯き、暗い顔をした。

「確かに用事がなければ、自分から話しかけることは少ないかもしれません…」

「苦手?」

「特に苦手意識を感じたことはないのですが。よくわかりません」

 そういえば、アバターの性格について疑問を抱いていたことがある。ひなたは部屋から出、廊下を歩きながら秋田に尋ねた。

「アバターはあのベリード・アライブってヒトに作られたんだっけ」

「そうですよ」

「性格の設定とかもあのヒトがやったの?」

「いいえ。あの方がなされたのは四つのアバターの『源』の配布だけです。その源が核となり、プレイヤーの心と直結した風景を『衣』として纏ったのが私たちアバターなのです」

「そうなんだ」

「そうなんです」

 会話が途切れた。

 やはり秋田は自分から話題を降ってこない。

 ―――その消極的な態度が『誰か』を思い出した@

 ぎちり、ぎちり、と頭が締め付けられるように痛んだ。そうだ、秋田はどこか、誰かを思い出させるのだ。

――@@@@

 頭の中を黒い『ギザギザ』が暴れている。

「ひなた? 大丈夫ですか?」

「…平気」

「無理をしないでください」

 秋田は背中を摩ってくれた。

「――――」

 不思議な気分だった。憎しみを糧とするはずのアバターなのに、ひなたの身体を気遣ってくれている。それはプレイヤーを守護するアバターの本質なのだろうが、それでも不思議だと思ったのだ。

 

 

「もう、皆様来ておられるようですね」

 食堂にひなたと秋田が入った時、既に他の三人は席に座っていた。テーブルの上にはサラダやベーコン、シチューの入った鍋、パンが置かれていた。洋食だ。そういえば、頭がパーンとショートした時、パンを食べたくなったことを思い出し、ひなたはなんとなく楽しくなった。

「ひなた君、遅いーっ」

 ぼうっとしていると、氷雨に文句をつけられた。

「ごめんなさい…」

「まあ、お気になさらず」

 ひなたはレイチェルに席を勧められそこについた。秋田も隣に座った。

「それでは全員揃いましたし、召し上がりましょう」

 レイチェルがなにやら食前の祈りを済まし、食事が開始された。ひなたと秋田は手を合わせ、「いただきます」と言い食器に手を付けた。

「ひなた君達、姉弟みたい」

 氷雨に突っ込まれた。

 ひなたは最初、おいしそうなベーコンを取ろうとしたけれど、やはりまずは野菜から食べるのが健康に良いと思い、サラダを取った。

 野菜は好きではなかった。だからこそ、空腹時の第一食目は野菜を食べることにしている。その方が少ない量で野菜をより吸収しやすいと思ったのだ。

 サラダを口にしようとするひなたをレイチェルはじっと見ている。調味料は掛けては失礼だと思い、ひなたはそのまま口にいれた。

(あ、おいしい…)

 驚いた。

 野菜をおいしいと思ったのは初めてだった。ひなたは最初の一口だけと思っていたのに、サラダをもう一口取った。レイチェルがひなたを見て笑みを浮かべていた。

「え、なに?」

「おいしそうに食べてくださり、ありがとうございます」

「……っ」

 意外な程、レイチェルの笑顔が可愛かった。外国の女はケバいと誰かから聞いたことあるが、そんなことはない。レイチェルの羞恥を味わったことなどないような清楚な笑みに、ひなたは胸が切なくなった。思わず顔が赤くなると、テーブルの下から氷雨に足を蹴り飛ばされた。

「痛……なに、氷雨ちゃん…」

「なんかむかついただけ」

「妬いてるの?」

「誰がっ」

 また足を蹴られた。

「食事中にお行儀が悪いですねー。好きなら好きと言えばいいのに」

 レイチェルは席を立ちひなたの隣に来た。氷雨が頬を膨らませた。

「ご飯の時に立ち歩くほうが行儀悪いでしょー」

「私はもう食べ終わったので」

 レイチェルは氷雨に見せ付けるように、ひなたの首に両手を回し抱き寄せた。女の子の匂いがした。レイチェルの吐息が耳に掛かる。

「…ボク、まだごはん中ー」

「そちらの方にもっと見せ付けてあげましょう。ほらほら。羨ましいでしょう?」

 ぎゅうっとレイチェルに抱きしめられた。彼女の柔らかい胸に頬を埋まった。想像以上に柔らかくて、ひなたは快感さえ覚えた。ウォーターベッドはこんなに柔らかいものなのだろうかと 連想した。

「別に羨ましくない。私、ひなた君にもっとすごいことしたから」

 もっとすごいこと。お尻を穴まで触ったことと、股間を蹴られたり、握られたりしたことを言っているのだと思った。

 だけど、その言葉にレイチェルはからかうような視線を氷雨に向けた。

「じゃあ、私はほっぺたにキスしちゃいますよ」

「ちょ、ちょっと、まって…ぼ、ボク、ごは…」

 逃げられない。レイチェルの両手はまるで『手錠』のように、ひなたの身体に絡まっていた。このままではキスされる。いくらなんでも、氷雨の前で別の女の子にキスされるのは嫌だった。

 ―――違う。

 ズキズキと脳みそが痛んだ。藍那以外とキスをする事が耐えられなかった。吐きそうになる。レイチェルが好きとか嫌いではなく、藍那以外の全ての人間に対してそうだった。

 助けを求める視線で氷雨を見た。

「いいじゃん。されちゃいなよ、キス」

 冷たい声であっさりと見捨てられた。少し悲しかった。

 レイチェルはキスはせずに、腕を放してくれた。

「朝の愉快なジョークなので、御気になさらないでくださいね」

 満足気にレイチェルは笑顔を見せた。

 氷雨はそっぽを向き、食事を再開している。なんとなく声を掛けづらかった。

 隣を見ると、秋田が複雑な表情でパンを見つめていた。

「秋田さん、どうしたの?」

「パンはお米の敵なので…」

 敵らしい。

 

 

「さて、食事も終えたことですし、そろそろお話の方に移りたいと思います」

 今日の会議はレイチェルが指揮を執る。

 ひなたは純白の顔を盗み見た。見なかったことにした。

 レイチェルの提案により互いに自己紹介をすることにした。今まで知らなかったレイチェルのアバターは『リアニメイト(再び命を吹き込む)』という名前だった。

「実は私たちにはあまり時間がありません。これから、それぞれのアバターの力を確認しあわなければならないのですが、私としては一つ県を壊滅させたいと思います」

「――――」

 ひなたはぴくりと反応した。

 覚悟していたことだ。

 アバターを使うと決めるよりももっと以前、藍那とのことがあってからは、知らないニンゲンの命を何百万個生け贄に捧げてもよい、と。

「――いきなりかい?」

 今まで黙っていた純白が口を開いた。怖気づいているのか。

「先制攻撃なのでこれは成功するでしょう。その過程において、各々のアバターの性質を確認しあおうと思うのです」

「あまり時間がないと言ったな? どうして僕たちに時間がないのか、説明してくれるかい?」

 レイチェルは嘆息した。

「アバターからなにも聞いておられませんか? アバターは存在しているだけでエネルギーを消費しています。そのエネルギーを補給するには、千単位のニンゲンの負の感情が必要です。なので、町を襲う時は可能な限り、残虐に攻撃することにしましょう」

 ひなたは秋田を見た。そうだ、この少女も憎悪の化身なのだ。

 気になったので、ひなたは聞いてみた。

「アバターはこのままだと、あと何時間くらい持つのかな」

「六時間くらいじゃないですか」

 レイチェルはさらりと言った。

「いいよ。ボクもその方針で。町を一個襲うんだね」

「はい。他のお二方はどうですか?」

「あたしもそれでいいよ」

「――まあ、いいだろう」

 今日の方針は決まった。

 まずは『群馬県』を壊滅させることになった。

「そうだ! 群馬県を落としたら、そこに僕の『純白キングキャッスル』を建てることにしよう!」

 ジュンパクキングキャッスル、非道い名前だと思った。

 

 

 朝食を食べたひなた達は早速、都内から群馬県に向かうことにした。車は館にあった大型車を一台借りた。運転しているのはレイチェルだ。

「レイチェルさん、免許持ってるんですか?」

「ないですよ、そんなの」

 持っていないらしい。

「事故らないでよねー」

 本を読みながら氷雨は言う。ひなたは氷雨の隣に座った。

 氷雨は目を合わせてくれなかった

「怒ってそう…」

「怒ってない」

「そかな…」

 氷雨はそっけない。ひなたは諦め、隣にいるノワールを見た。声を出さずに笑っていた。

「――――」

 怖い。いつもそうだ。他のアバターを見て歪だと思うことはあっても、怖いと感じるのはノワールだけだ。それは親しくない故の人見知りのせいか。ひなたは勇気を振り絞って、ノワールに声を掛けてみた。

「あ、あのノワールさん」

「―は―はは、あ?」

 声を掛けられ、ノワールは初めてひなたに気づいたらしい。考え事をしていたようだ。

「ふ、ふ。なんだい?」

「氷雨ちゃん、機嫌悪いんですか?」

「はは…ふははは。拗ねているだけさ」

 その言葉に氷雨がノワールの髪に掴みかかった。

「こらああああああああ! すねてなんかないわああっ」

 ついでにひなたも頭を殴られた。

 痛かった。

 氷雨はノワールが怖くないのだろうか。

 

 

「皆様、着きましたよ」

 ブレーキが掛かり、車は止まった。

 平和な田舎町だった。

 昼の日差しの下、自転車を走らせる通行人や地元の主婦達の井戸端会議などが目に付く、ごくごく普通の喉かな風景だった。

 空気がおいしい。

 なんと平和な町なのだ。ひなたはそれに苛立ちを覚えた。幸せな人々の顔が憎い。勝手な嫉妬だということは分かっている。一見、幸せに見えても誰だって苦労はしている。それを差し引いても、笑顔でいられるニンゲンが憎かった。

「みなさん、準備はいいですか?」

 レイチェルの言葉に氷雨は頷いた。純白も返事はしなかったが、準備はできているらしい。鼻で笑っていた。

 ひなたが頷けば、今、ここから虐殺と戦いが始まる。

 恐らく世界の全てを敵に回す。これからは追われる身、あるいは戦う身となる。ここで頷けば、もう平和な生活には戻れない。勝つか負けるかしかない。

 誰かが言っていた。逃げたニンゲンは一生自分を嘲笑して生きていくしかないと。最初から覚悟はできていた。罪も無い善良なニンゲンの命数億を引き換えにしてでも、望みを達成したいと。

 ひなたも頷いた。

 

 

 群馬の街を秋田が駆けた。

「―――――!」

 秋田は吼え、手にして鎌を一振りした。瞬く間に二人の女の子の腹を裂いた。

「@@@」

 秋田はそのまま女の子の裂いた腹に手を突っ込み、傷口から腸を引きずり出した。ぶちぶちとなにかが千切れる音がし、女の子の腹から腸は伸びた。

 ナンテナガインダと思った。女の子は痛がっていた。

 ひなたは生まれて初めてニンゲンの内臓をナマで見た。血に濡れた腸は今もびくびくと痙攣していた。秋田は手に力を入れ、それを握り潰した。ぶちゅっという水音を鳴らし、平たく伸びた。まるで毛虫を潰したような音だった。

 騒ぎを聞きつけたニンゲンが集まる。秋田はその人ゴミに飛び込み、また鎌を振るった。それだけなのに、人ゴミはまるで『紙屑の束』のようにまとめて腹を裂かれていった。

「@@@@@@@@」

 秋田はまだ誰も殺していない。だけど、それは助けるためではない。直に彼らは死に絶える。腹を割かれて苦しみながら死ぬのだ。苦しめて殺しているのだ。

「――――――――――!」

 秋田は一生懸命だった。無我夢中に稲を刈るように、ヒトの腹を裂いていく。苦痛を癒すものは他者の不幸だけであるかのように。

 ――マルデ、ソレハ、ジブンノスガタヲ、ハタカラミテイルカノゴトク。

 ひなたは頭を振るった。今、おかしな声が聞こえた気がするが、それは気のせいだ。

 パトカーがやってくる。

 秋田はそれさえも見つけ次第強襲し、乗員を一秒も掛けずに切り裂いた。その迅速な殺戮はカマイタチを連想させた。

「アーッハッハッハッハッハッハ! やれ、エルリ! 他の連中に遅れを取るなよっ」

 ひなたは隣を見た。

 純白のアバター、『ジサツの化身』が大勢の市民と向かい合っていた。

 ――エルリは立っているだけだ。

 彼女の足元から深緑の茂みが広がっていた。富士の樹海を思い出した。

「@@@」

 向かい合った人々は突如、自殺をし始めた。嘆き、苦しみ、悲しみ、絶望し、自殺を始めた。

 死んでいく。ニンゲンが簡単に死んでいく。 

 大量のニンゲンが同時に自殺していくのは正に壮観だった。

 見ているひなたでさえ、気持ちが良かった。

 『自殺の教唆』、これがアバター・エルリの力だ。

 数人は自殺しなかった。エルリは頭上に回転させていた輪の着いたロープを生き残ったニンゲンへと放り投げた。

「@@@@@@@@@」

 生き残ったニンゲン達もその輪に首を通し、自殺をし始めた。

「ニンゲンがゴミのように死んでいくぜ! 人ゴミだから、ゴミなんだな!」

 純白は楽しそうだった。

 ただ、純白を悪く言えなかった。秋田が空を舞う。逃げ惑う人垣に切り込み、今度は腕や足から斬り飛ばしていた。切断された手足の断面が見えた。もっと見たいと思った。

 たくさんの血飛沫を見ていると、すごく胸がすっきりとした。

 ――アキタハ、ノゾミヲ、カナエル、アバター。

 やっぱり、ひなたは純白のことを悪くは言えなかった。己もヒトを悪く言える程、良いニンゲンではないと分かった。

「平気ですか?」

 レイチェルに声を掛けられた。

「顔が真っ青ですよ?」

「平気…」

「死体は見慣れませんか。休んでいても良いのですよ。どうせ雑魚しかいないのですから」

 レイチェルは懐から銃を取り出し、近くにいた男を撃った。

 派手な銃声が鳴り響き、撃たれた男は悲鳴を上げ、腹から血を流してぴくぴくと痙攣した。

 リアニメイトはなにもせず、レイチェルの傍らに立っているだけだ。

「……」

 ひなたはなにか『オカシナモノ』を見ている気がした。アバターのリアニメイトがなにもせず、レイチェルがニンゲンを撃ち殺している。

 ――血の匂いがする。

 数十分前は平和だったこの町も、今は空が赤く死臭立ち込める地獄に変わっていた。

 ひなたは頭を振った。

 なにが地獄か。

 これ以上に汚れた空気はたくさん吸ってきた。地獄がこの程度とは片腹痛い。ひなたは氷雨の姿が見当たらないことに気づいた。

 右を見た。

 左を見た。

 見当たらない。ひなたは死体が点在する街を歩き、氷雨を探すことにした。時々死体がむくりと起き上がり、生者を求めて彷徨っていた。そんな気がしただけだった。死体は動かない。死んだ  がもうなにもできなかったように。ひなたは痛む頭に手を当てた。

 氷雨とノワールは何処に行ったのだろう。

 しばらく歩き、物陰に差し掛かったところノワールの笑い声が聞こえてきた、二人の姿が見えた。

 声を掛けようと思ったが、そんな雰囲気ではなかった。ノワールが手から放った黒い『線』が、女の子の首に巻きつき絞めていた。

「回線巻いて首吊って死ね…」

 氷雨は冷たく言った。それはひなたの知っている氷雨ではなく、もっと冷たいイキモノの声だった。

「―――」

 女の子は反撃もできない。ただ、ノワールに首を絞められ吊り上げられていた。汚臭が漂い始めた。女の子は首を絞められ、失禁し、脱糞している。ズボンのお尻の所が膨らんでいた。

「ノワール」

 氷雨の声にノワールは首を絞めるのを止め、女の子の鳩尾を蹴り上げた。

「―――っ!」

 意識を失っていた女の子は、その一撃で咽、目を覚ました。お尻から地面に落ちると、べちゃりと自分の便を体重で潰した。

「ひっ――」

 女の子は排泄の羞恥も忘れ逃げようとするけど、首に巻きついたノワールの『線』がそれを許さなかった。また、首を、絞める。

「――あ、あ―――あっ――――あっ」

 吊り上げられ、手足がだらりと垂れ下がる。氷雨が女の子の身体を左右に揺さぶると、股間から大小の便がぼとぼとと落ちた。

 氷雨は吊られている女の子の腹を殴りつけた。

「――――っ!」

 その反動で女の子は残った便をお尻から排泄し、勢いで首が絞まり、絶命した。

 ――ひなたの知らない氷雨がいた。

「ふ…ふはは…もう殺したのか」

 ノワールの言葉に氷雨は頷いた。

「はは…浮かない顔だな」

「あたしは外っ面はあの子とそっくりだけど、中身は全然違う。平気でこんなことをする」

「はははは。しょうがない。君は君さ」

 あの子。

「――ふふふ。ははははははははは。少年よ、覗きとは感心しないな」

 ノワールに睨みつけられた。

 盗み聞きしていたことはばれていたのだ。仕方なくひなたは影から顔を出した。

「氷雨ちゃん」

「――ひなた君? 見てたの?」

「ごめん」

「別にいいけどね」

 氷雨は瓦礫の上に腰掛けた。今気づいた。辺りは廃墟となっていた。ノワールが破壊したのだろう。

 氷雨の身体は血に濡れていた。返り血だ。氷雨の心を知りたい。氷雨に恋愛感情がないと言えば嘘になる。だから、もっと心の中を知りたかった。

「氷雨ちゃん」

「なに?」

「――みんなのとこに戻ろ」

「――」

 氷雨は意外そうな顔をした。きっと、色々と聞かれると思っていたのだろう。無理に聞かなくても良いとひなたは思ったのだ。孤独にさせなければいい。そんな気がしたのだ。

「ひなた君」

「うん?」

「ありがとう。いつまでもあたしの友達でいて欲しい」

「うん、もちろん」

 女の子を惨殺した氷雨を怖いとは思わなかった。純白の時にも感じた。ヒトのことを悪く言えるほど、己も綺麗な精神の持ち主ではない。

「――――」

 ノワールはもういなかった。姿を消している。

「あれ―――?」

 疲れていたのか。

 視界が捩れた。そのままひなたは全身の力を失い、大地に倒れてしまった。

「ひなた君っ?」

 氷雨の声が聞こえる。だけど、緩んだ筋肉では起き上がることができなかった。

 

 

「――――」

 ここは何処だろう。

 ひなたは見たこともない『憎悪の残骸』の中で目を覚ました。

 ここにはなにもなかった。憎悪からはなにも生産できない。ただ植物の汁のような匂いが漂っていた。それはまるで精液のような匂いにも感じた。自分のなら良いけれど、他人の精液なら嫌だ。そう考え、ひなたは吐きそうになった。

 ―――@@@。

 頭が締め付けられる。いつか感じた『孫悟空』の輪のように。

 ここはアバターが住むべき世界だ。現世に降臨する前、アバターはここにいた。憎悪に生産力はない。だからこの跡地にはなにもない。

 ここはニンゲンの住める場所ではないのだ。

 ではどうして自分はここにいるのだろう。そんなことをひなたはぼんやりとする頭で考えた。倒れた時に頭を打って死んだのかもしれない。

 ―−@@@@。

 間違っている。

 アバターは弱者の妄想だ。歪んだ夢であり、絶望の象徴。整合性の取れていない幻覚だ。

 ―――――黄金の少女の声が聞こえる。

 バグによるアイテムの増殖は危険だと言っている。夢から覚めろと言っている。『孫悟空』もそう言っている気がした。

 

 

 気づいた時、ひなたは車の中にいた。車は動いていなかった。ひなたを休ませるためにここへ運んでくれたのだろう。

「あ。目を覚ました? ひなた君」

氷雨が心配そうに顔を覗き込んでいた。顔が近い。まるで息が掛かるかのようだ。

「うん。心配したげたんだよー? 平気?」

 氷雨の隣にはレイチェルもいた。肩を竦ませていた。

「うん。ごめんなさい…」

「いいんだけど…。怖かった?」

 氷雨が舌を出して悪戯っぽく笑った。あの時の氷雨は怖くないと言えば嘘になる。だけど、それでもひなたに優しくしてくれる。それだけで氷雨を友達として信頼する意味は十分だとも思ったのだ。

「今、どうなってるの?」

「群馬県は見事に私達が制圧することができました。これも皆様とアバターの頑張りのおかげでしょう。アバターも数日分の力を補充することができました」

「そっか」

「あの男はまだ元気らしく、そこらで少女を嬲っておられます」

 氷雨が「最低だよね」と言うと、レイチェルも「うん」と頷いた。朝は仲が悪そうに見えた二人なのに、今は打ち溶け合っていた。

「仲良くなったんだ?」

「うん。今、二人で話してたんだ」

 レイチェルのほうを見ると、彼女もまんざらでもないようだ。なにがあったのだろうと不思議に思った。

 窓の外を覗いた。

 陽は遠に沈んでいて、もう真っ暗だった。暗闇の中見える景色は地獄絵図だった。たくさんの死体が転がっている。

「全員殺しちゃったの?」

「いいえ。生き残ったニンゲンも多くいます。あそこの建物にいれておきました」

 レイチェルの指した建物はどす黒い気配を醸し出していた。絶望と暗黒のコラボレーション。そんな感情はレイチェルからも感じた。彼女が用意した建物だから、彼女と同じ心を持ったのか。

 見に行こうと思った。

「あれ…?」

 ――窓の外、黄金の服を来た少女が横切った。

「今、誰か通った」

 自分で言って可笑しな事だと思った。この町は完全にアバターが制圧している。もはや自由に動けるニンゲンは存在しないのだ。

 それでも気になったのだ。

「ひなた君、どこいくの?」

 ちょっと散歩してくる。そういったつもりなのに声は出ていなかった。さっきの夢を思い出した。全ての風景があり、どの風景でもない世界。

 

 

 車から飛び出したひなたを見て氷雨は怖くなった。

 ひなたはなにかに振り回されている。

 あの『秋田』とかいう死人のように青い顔をしたアバターがついてから、ひなたは前よりも確かに活き活きとした。元気も出た。

 だけど、それはまるでブレーキの壊れた車に乗っているように――。

 氷雨は不吉なことを考えるのを止めた。怖かった。

 それにあの秋田は誰かに似ている気がした。

 

 

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