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 石榴(ざくろ)が目を覚ましたのは寝台の上だった。

ここは何処か。

 辺りを見渡そうとし、己の身体がきつく拘束されていることに気づいた。手足はおろか、指先の一本さえ動かなかった。

 見えるのは天井だけだ。だけど目を開けていると強烈な乾きを感じ、痛みに耐え切れず石榴は目を閉じた。鼻の中はぬるぬるとしたなにかが詰まっている。息をするのが辛い。僅かに開く口からなんとか空気を吸おうとするが、やはり口も何処かぬるりとしている。堪らない不快感を覚えた。

「こんにちは」

 動けない石榴の視界に少女の姿が入ったきた。少女の髪は血のように赤かった。血。生者の証。生きている。生きている証の色。それが赤。

「なにも思い出せないでしょう?」

 そうだ。なにも思い出せないのだ。どうしてここにいるのか。なにも分からない。天井を見れば天井だと分かる。自分は人間という生き物だということも分かる。記憶が全て抹消されたわけではない。己のアイデンティティに関わる事がなに一つとして思い出せないのだ。

「私はメイフェア。あなたを死後の世界に案内するメイフェアよ」

 なにかを聞こうとした。だけど口を開くことができず喋れなかった。

「あなたは既に死亡し、心臓もぐしゃぐしゃに潰れ機能していない。今あなたの身体に血液を流しているのは、全てこれらの機械仕掛け」

 メイフェアはぐいっと石榴の身体に繋がれていたコードを引っ張った。赤いそれらはまさしく血管であり、コードを引っ張られたのを見た時、肉体的な痛みはなかったが、爪を捲られるような不快な感触だった。べりべり、と爪を剥がされるようなおぞましさ。

 死んでいる。

 そう言われればそんな気もしてきた。

「このスイッチを押し血液を止めればあなたの脳も活動を止めることでしょう」

 なにも思い出せない。

 この石榴という名前さえも本当の名前かどうかわからない。だけど不思議な落ち着きもあった。

「俺をどうするつもりだ」

 出ないと思っていた声がでた。今まで鼻と口に詰まっていたぬめりがすっと流れたような気がした。メイフェアはチューブを握っている。そうだ、今の石榴の身体は全てこの少女の思うがままなのだ。

「私のために働きなさい。その間あなたは生きていられるわ」

「断る、と言ったら?」

「断れないわ」

 メイフェアの手から炎があがった。髪と同じ色の紅蓮の炎。魅入られるような赤。石榴は炎から目が離せなかった。この炎は何処かで見たことがある。

 悲しい思い出が蘇りそうで蘇らない。記憶はないのだ。死んだ時に失われたのか、少女に消されたのかは分からない。だけど少女の炎を見ていると胸が張り裂けそうだった。

 メイフェアは黙って発火する手をそっと石榴の胸に当てた。

「@@@」

 石榴は目を剥いた。腹を割られ、傷口から内臓を塩まみれの手で鷲掴みされたかのような激痛が脳まで走り抜けた。

 ただ痛いのではない。心の歪みそうな激痛だ。メイフェアは悲鳴をあげることさえ許してくれなかった。叫ぶことさえできれば気も紛れる。せめて気絶したかった。

「痛いでしょう? あなたの肉は腐ってるわ。神経も剥き出し。私が鎮痛をやめれば、すぐにあなたの身体は焼かれるような苦痛を覚えるでしょう。ほら、こんなふうに肉を揉むとあなたは痛がる」

 早くこの苦しみから解放されたい。地を舐めて許されるなら舐める。目玉を噛んで許されるなら噛む。死んで許されるなら死ぬ。

「言うことを聞く?」

 石榴はこくこくと頷いた。

「ご協力ありがとう。それでは力を合わせてお互いの良い結果を出しましょう」

 メイフェアはくすっと笑った。どこかで見たことのある笑顔だった。だけど記憶が壊れているから思い出せない。

 

 

「起きて」

 メイフェアに言われるまま、石榴は上半身を起こした。今度は身体が動く。改めて部屋の中を見渡した。白く清潔、硬質な造りの部屋だ。

 石榴はすぐに分かった。ここは宇宙船の中だ。船内の擬似重力により体重を感じるが、これは作り物の重力だと石榴の身体は覚えている。

 いくら思い出そうとしても、石榴は己のアイデンティティに関してはなにも思い出せない。この重力が宇宙船の作り出したものだということは分かるのだ。

「ここがどこか分かる?」

「宇宙か?」

「そう。ご名答。やっぱりあなたは最高のソルジャーよね」

 メイフェアは赤い髪揺らして笑みを浮かべた。揺れる赤い髪。宇宙空間では自然に髪は揺れない。意図して揺らしたのだ。

 なにかを思い出しかける。けどやはり思い出せなかった。メイフェアとは何処かであった気がする。赤い髪。メイフェアはパチンと指を鳴らした。発火する。メイフェアの手から紅蓮の炎が吹き上がった。

「あなたのソルジャーとしての知識や技術はそのままに、アイデンティティに関わる記憶のみを抹消して蘇生させたの。もう必要ないものでしょうし」

 メイフェアの言葉に怒りが沸いた。石榴はメイフェアに憎しみを覚えた。

「@@@」

 その瞬間、生きたまま皮膚を剥がされたような激痛が走った、絶叫もできない。声が出なくなっていた。床を転げまわる。

「@@@」

 床と接した部分の痛みが悪化する。

 苦痛に目を剥きながら石榴が己の身体を見ると、肉は腐り神経が剥き出しになっていた。

「駄目よ」

「……っ」

 痛みが止まった。

「駄目よ。あなたは私のものよ。憎しみなんて覚えては駄目」

 憎んでは駄目らしい。

 

 

「さあ立って。知覚テストよ」

 石榴は床に足を着いて立ち上がった。

 身体は麻痺したかのように一切の感覚がない。暑さも寒さもなにも感じない。不思議と重力を感じることはできた。そうだ、石榴の身体は神経が剥きだしになっている。メイフェアがなにも感じないようにしてくれているのだ。

「身体になにか感じる?」

「重力を」

「目は見える? 耳は聞こえるよね。においは嗅げる?」

「ああ」

「じゃあこの宇宙船のシステム、使用目的は分かる?」

 石榴は壁や天井、床を造っている特殊な素材を見て答えた。

「宇宙船は魔女エンジンによって動くタイプ。一人以上の魔女が魔女エネルギーを用いてエンジンを動かし操縦する。砲台を含めた全ての兵器も魔女エンジンからの供給でまかなわれ、単一のエネルギーで動いているために安定性が高く、即効性を持った攻撃戦艦としての性能は優秀である。だが、運用には魔女が不可欠であり、魔女の数自体が少ないため軍用には向かない。また長所でもあり短所でもあるのだが、全てのシステムが魔女を中心としているため、魔女が攻撃に晒されると案外脆く撃沈する」

「そう、ご名答。そこであなたには私を守る騎士になってもらおうと思うの」

 石榴は頷いた。自分は死人であり、誰なのかも分からない。苦痛の束縛もある。メイフェアに従えと言われたなら従うしかなかった。

「素直ね、ありがとう。うれしいわ、とても。ところであなた、自分の名前は覚えてる?」

「石榴」

「おーけー。いいわ。それでは最初のミッションいってみましょうか」

 この名前も本当かどうか分からない。

 

 

 メイフェアが燃える手を石榴に架ざすと、石榴の脳内に映像が展開された。この付近のマップの上に赤と青の光が点滅している。

「赤い駒が私達。青い方が敵。敵の船は核エンジンを積んだ通常貨物船。作戦の目的は貨物の奪取。ちなみにこれが私達の船の情報よ」

 膨大な情報を頭の中に流された。石榴はその中から必要な情報だけを取捨択一していく。そう、昔も魔女と組んでいた時にはこんなことを毎日のようにしていた。慣れたものだった。

 ――生前の記憶が蘇りかける。

「石榴?」

 メイフェアの言葉に石榴は我に返った。思い出せなかった。

 必要な情報をまとめる。この船にいる魔女はメイフェア一人。騎士は石榴一人。計二人の低人数強襲戦艦。

 攻撃力と即効性は上級。耐久力に不安あり。また全てのエンジンをメイフェア一人の力で動かすため、長時間の連続戦闘は不可能。完全に速攻戦を意識した造りになっている。

「あなたならどう戦う? 敵はただの貨物船だけど、積んでる荷物が荷物なだけに、けっこう武装してるわ。護衛艦が十七隻」

「貨物は? 護衛艦の数が多すぎる。ただの輸送ではない。だが、重要なものにしては輸送が目立ちすぎる」

「武器よ。次の戦争で使われるらしいわ」

「手に入れてどうするのだ?」

「破壊したい国があるの」

「そうか」

 ならば石榴に出来ることは、このソルジャーとしての知識と技術を主のために役立てるだけだ。

「ところで船の名前は?」

「インタラプト」

 インタラプト。インタラプト。頭の中で反芻する。何処かで聞いた。生前もこの船に乗っていた気がする。戦っていた敵だったのかもしれない。

 

 

「さあ、石榴。戦闘開始よ。セーブはした? 準備はおーけー? 後戻りはできないわよ」

 メイフェアの手が真っ赤に燃え、その手でインタラプトの舵を掴み回す。魔女エンジンは唸りを上げ、敵艦隊へと突撃する。

「あんたらはいったいなにじんよ! あんたらはいったいなにじんよ! あんたらはいったいなにじんよ! あんたらはいったいなにじんよ! 給金目当てで軍人になったのか、御国のために働こうとしているのかは知らないけど、私はあなた達を殺すよ! 邪魔するんなら殺すよ!」

 メイフェアは狂ったように叫び、インタラプトを操縦する。叫び過ぎる彼女の姿は痛々しく、だけど愛しくも見えた。メイフェアは泣きそうな声で叫んでいる。

 石榴は頭を振った。今は戦闘中だ。

 勝負は最初の数刻で決めなければならない。この船に持久力などない。長引けば敗北。限界まで速攻性を極めたこの戦艦の真価は瞬発力にこそある。

「大した作戦なんてありはしない。速攻戦の場合、相手の出方など関係ない。いかに自分達の戦技を真っ当できるか、だ」

「けっこう。では行くわよ」

 インタラプトが敵輸送艦目掛けて急接近する。

 ――警告が来た。これ以上の接近は攻撃対象になる、と。

 それでもメイフェアは突き進んだ。敵がこちらの速度を計算し、攻撃準備に移る。こちらの最大加速を想定して。だが、敵はインタラプトが魔女エンジンを積んでいることを知らない。

メイフェアがエンジンの出力を最大まで上げた。この速攻型戦艦では最大以外ありえない。最初の数刻の性能、爆発力を限界まで上げているのだ。

 敵護衛艦の砲台がインタラプトに向く。だけどインタラプトはもうそこにはいない。

 護衛艦の横を通り掛かる。

「石榴。この戦いはけっこう余裕でしょう? ヒマがあったら、そこらへんの船を攻撃して。それもなるべく派手な攻撃方法で」

「なんのために?」

「見せしめよ、見せしめ」

「本当にそれでいいのか? 無駄な死体を増やすのか? この船に武装は少ない。あんたが船を速攻型に改良したのも、本当は無駄な殺しを避けるためだったのではないのか?」

「うるさいよ。もう決めたことなんだから言うこと聞いて」

「わかった」

 石榴は宇宙服を着、ショットガン型の小型殺人兵器を持ってインタラプトの甲板に出た。

 宇宙には風も音もない。静かな闇と光だけの世界。光速であり、高速で飛ぶ戦艦同士がすれ違うのは本当に僅かな一瞬のみ。

 だけど最強のソルジャーである石榴はその一瞬を逃さない。

 殺人銃器を敵艦に向け、引き金を絞る。ぽうっと光が走った。白銀の光は一直線に進み、敵艦の装甲を突き破って、中にいた人間一人の心臓を突き破り、船の反対側を突き破って宇宙の彼方へと消えていった。

 一人殺した。

 分かるのだ、船の型から、敵の乗組員がどの位置で仕事に就いているのか。おおよその見当は付くのだ。

 

 

 未完

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