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職の貴賎、お金と幸福の使い方。

 

「職に貴賎なし」という人もいれば

そんなのは嘘だっていう人もいます。

 

しかし、根本的に

他人の職を卑しいとかいうのは

人として頭がおかしいのかもしれません。(りりあ言いすぎ?)

つまり、まともな意見ではなく、

むしろ、卑しいのはその方の頭と価値観と発言内容かもしれません。

 

なので、職の貴賎を論じるのは

他人からの視点ではなく

自分自身が自分の職をどう思っているか、なのかもしれません。

もちろん、所得の差はありますが、

それは職の性質の違いです。

 

 

りりあのキライな親族の女が

「人の役に立つ仕事がしたい」

とか言ってて、

福祉とか介護のお仕事とかを探して

自分はあなたよりも

こんなに人の役に立ってるんだぞってイバってました。

 

しかし、農家だって人の役に立っていますし、

水道会社の人だってそうですし、消防士の方もそうですし、

食品会社の人だって、漫画家だって人の役に立つし、

そもそも、職に勤めている時点で

経済が活性化し、所得が一定値を越えれば納税もするので

人の役に立たない仕事など少ないと思います。

(本当に人の役に立たないのなら職として機能しないかもしれません)

 

ドラム缶を右から左に押して、

左から右に押し直すお仕事ですら、

見た人が楽しんでくれました。

 

職の貴賎の話はこれくらいで良いとして

今日はニートさんと幸福のお話を書いてみたいと思います。

 

「ニートは良くない」

「仕事しろ」

 

という意見をよく見ます。
 

確かに社会全体のシステムで見た場合、

経済が動きにくくなるので、

そういう意味では見知らぬ他人など

どんどん働いて経済を活性化していって欲しいという

願望なら理解できないでもありません。

 

しかし、社会全体の活性化

(もっというと、自分の生活圏内の効率化)

のために

合法の中で生きている人に対し

強制に準じる発言を投げかけることはできないので

なかなかりりあは「働け」とは言えません。

 

人は幸福になるために仕事をするのだと思います。

例えば男性であるのなら

配偶者や子を養うために

仕事をしている人も多いと思います。

 

これならばお仕事を通じ、

幸福へと繋がるので働くことはできます。

 

けれど、働いても幸福になれないのなら

なかなか、働く意欲がなくなるのかもしれません。

 

 

りりあのよく知っているニートの方がいたのですが、

その人はよく言われる

「親が養うから働かないんだ」

っていうのとは違いました。

 

その人にはなんの意思もなかったのです。

生きる理由もなく、

逆に積極的に死ぬ理由もありませんでした。

 

だから、毎日、虚空を眺めて生きていました。

仮に親が食事を与えるのをやめ、

家から追い出したのなら

やっぱり、その人は

家の前でぼーっと空を見たまま

餓死したかもしれません。

 

「家の前にいるな!」

と言われれば、

言われるがまま、

家から距離をとった場所でぼうっとしていたと思います。

 

親が仕方ないから

「家に入れ」

といえば、断る理由もないので家に入るかもしれません。

 

その人にはなんの行動理由もなかったので

なんの自発的な行動もありませんでした。

そういう人でした。

 

けれど、その人は恋をしました。

虚空だった人生の中で

初めて欲求を見つけたのです。

生きる意味を見つけたのかもしれません。

 

その人は職につきました。

ただの職ではありませんでした。

自分の生きる意味を見つけ、

愛したその人を喜ばせるための職を見つけ、

その職に辿り着くために

あらゆる努力をこなしました。

 

ニートをやめる、というのは

そういうものかもしれません。

職の先になにか光を見つけたからこそ、

自ら動き出したのかもしれません。

 

そして、幸福の形も

自分が決めていくものかもしれません。

この例に出した人も

その相手を好きになったかどうかは

究極を言えば己の内面の問題でした。

 

人は幸福になるために生きているのだと思います。

幸福になるための手段として

お仕事があるのだと思います。

 

幸福の形というのは色々あると思います。

憧れ、達成感、充実、愛情、家庭。

 

「みんなが仕事をしているから自分も就職しないと」

「無職だと人にあわせる顔がない・・」

 

という感情はあるのかもしれません。

しかし、思うに、本当に人にあわせる顔がないというのは

自分が幸せでないことかもしれません。

 

貯金が8億円くらいあるニートの方がおられましたが、

いつも堂々と胸を張って生きていました。

週末にはやはり、自分と同じく

貯金が大量にあるニートの方と共に

お茶会を楽しみ、またその席では

自分が1週間に見た映画の話を面白おかしくし、

夜も更けていきました。

その人は幸福でした。

 

貯金が10万円もなく、

フリーターでその月暮らしをしている方だけど、

絵を毎日こつこつ描いて

気づけば技術が十分にあがり、

たとえば、りりあのところでお仕事してくれるなら

原稿料を払っても惜しくないくらいまでになった人もいました。

その人は毎日、色々なことを考え、

友達にも囲まれ、とても幸福に見えます。

 

ニートの女の子がいました。

彼女は親族からのお小言に悩まされ

自分もこのまま年を取っていくんだろうなってことに

苦しんでいました。

不幸に見えます。

 

ずっと働いている人がいました。

毎日、毎日、多くのことに文句をつけ、

自分は不幸だ、つまらない人生だってケチをつけ

りりあのやっているお仕事を羨ましがって

「君はいいよなあ」

などと毎日言ってくる人がいます。

友達もできず、恋人もできず。

自分は不幸だ不幸だと文句をつけ、

健康なくせに

お金持ちの病気持ちの人間よりも不幸だと言います。

はい、その人は不幸でしょう。

 

職につかないと金銭面や充実面の上で不幸になることはありますが、

ただ、無闇に職についても幸福になれるかどうかは

また別問題です。

 

自分の人生に欲しいなにかを今一度よく考え、

その方法として、

どの職が適切かを考えていけばよいと思います。

就職難の時代とは言いますが、

確実に会社に利益を出し、

そのチャートまでもが明らかになった人材ならば

使ってくれることもあるかもしれませんし、

 

本当にやりたいお仕事なら

別に自分が起業し、

その上でどうやって自分でお金を稼いでいくかを

考えても良いのです。

 

今は便利な時代なので

それらは調べればその素材は転がっているでしょうし、

知恵は磨けば光るでしょう。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。

 

---今日のお話。---

■職の貴賎。
■ニートと幸福。

の2本でした。

 

3ねんAぐみ  せかいの りりあ  4011ねん4がつ3にち

 

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