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地震と募金とお仕事、善と中立と悪。

  

地震がありました。

多数の犠牲者が出てしまいました。

 

世の中には

例えば「募金をしていない人」を悪く言う方もおられます。

 

しかし本来、助けるというのは

自分が助けたいと思ったからこそ

助けるものだと思うのです。

 

募金も、

「このお金が震災の人の役に立てば。。」

そう思い、募金するのだと思います。

 

「募金をした人は偉い」

「募金をしなかった人は悪い」

「募金をするのは人として当然だ」

と言う方もおられます。

 

また、募金をしなかった人に対し

「自分が被害にあっても助けて貰えると思うなよ」

等という言葉を口にされるのを耳にすることもあります。

 

助け合いの精神とはそういうものでしょうか。

もちろん、社会システムという意味で考えると

「助けない人間」

少なくともその局面においては

この社会に住む人命の救助に貢献していないのであり、

(労働することにより経済が活性化するなどから、
 副次的に他者を生存させていることは十分ありえます)

その社会から助けてもらえると思うなよ、

という考えも分からないでもありません。

 

しかし、それは最終的に社会が決断することであり

個人が個人をバッシングするエサとなって良いものではないと思うのです。

そもそも、誰かが誰かを不当に悪く言うとことは

それは当事者でなくとも愉快な気持ちにはなりません。

 

「自分は助けたいと思ったから募金した」

 

それで良いのではないでしょうか。

他人がどうのということもないと思うのです。

 

 

違う道を歩いている足の不自由な老人にわざわざ駆け寄り、

手を貸す人がいました。

 

また、違う道を歩いている足の不自由な老人には、

わざわざ近寄ることはありませんが

同じ道を歩いている老人には手を貸す人がいました。

 

最後に、同じ道を歩いている足の不自由な老人にも

手を貸さない人もいました。

 

どの三者も

積極的に他者を攻撃しているわけではない以上、

「悪人」とは言えません。

 

 

「絶体絶命都市」という、

大災害(洪水など)を扱ったゲームが

発売中止を決定されたそうです。

 

震災の影響を考えると

災害関係の作品というのは出し辛いのかもしれません。

 

りりあは漫画やゲームを作って

生活している人間なので

作品1コを作るのに

どれだけの人員や製作コストが必要なのかは

凡そ検討がつくこともあります。

 

だから、単純に

「まあ、震災だから仕方ないよね」

っていうよりも

会社は大丈夫なのかとか、

スタッフのお給料はどうなるのか気になります。

 

また、この会社さんにとって

「絶体絶命都市」

大きな看板製品の1つなので今後も

この製品が使えなくては会社には

とんでもない痛手なのではないか、とかも考えていました。

 

もちろん

「被災した人はそれどころじゃないんだ!」

っていう考えもあると思います。

 

しかし、10人がケガをしたから、

まだ痛みを知らぬ11人目に同じ怪我をしろとも言えません。

本来は怪我人は少なければ少ない程、理想的だと思います。

 

が、そういった災害を扱った作品を出せば

被害者が心の傷を深めるなどの配慮から

発売を中止にしたというのなら止むを得ないし、

確かに「仕方ない」と思います。

あるいはそういった作品が販売されると

まるで鬼の首を取ったかのようにバッシングを始める方々のことも

何処かで意識していたのかもしれません。

 

現在、漫画のお仕事を頂いている編集部さんと

暫く連絡がつきませんでした。

でも、こないだお返事が返ってきて

編集部の皆様も物が倒壊したくらいで

特に健康上の被害はなかったようです。

 

りりあはほっとしてから、

また考えていました。

りりあ達が無事であり、編集部も無事であるのなら

お仕事も続行です。

 

こんな事態でも、

今日お仕事にいかなければ

生活が困難になるという方もおられると思います。

ただでさえ不況だったのです。

 

りりあが上に書いた「絶体絶命都市」のことは

その会社やスタッフさんは

金銭面などで大丈夫なのでしょうか、というのも

そういった意味であります。

 

もちろん

「被災地の苦しみはそれどころじゃないんだ」

ということは存じております。

「それどころじゃない」ことを会社も判断したからこそ、

「絶体絶命都市」も自ら発売中止にしたのだと思います。

そして上に記したように

鬼の首を取ったようにバッシングをやりたがる人を

意識した部分もあるかもしれません。

 

りりあは被害にあった方も、

また、あわれなかった方も

その双方が幸福であれば良いと思います。

 

その為の最善手は

無事だった人が多くを我慢することかどうかを

考えていたのです。

 

こんな時だからこそ
経済を活性化させていって欲しいかもしれません。
そうしたら、結果として
もっと多くの方が救われるかもしれない。

なにかの催し物をやると
「こんな時にフキンシンな」
そう非難する人も必ず現われます。
 
しかし、りりあは思うのですが、
経済を活性化させることと
被災地の方を見捨てることとは
そもそも別のお話だと思うのです、本来は。

被災地の方を助けつつ、
経済も活性化させ、
それが結果として被災地に住む方も
それ以外の地に住む方も
双方の生活が潤っていくのがベストだと思うのです。

 

 

被災された方、

また被災されずとも家計に大きな打撃を受けた方、

りりあはその双方が幸福になれるよう祈ります。

それは被災された方だけに悔やみを申すのではなく、

また、被害にあわなかった方のみのことを考えるのでもなく。

同じ祈るなら、なるべくなら1人でも多くの方が幸福であるほうが好ましいからです。

 

ここまで読んでくださって、

ありがとうございました。

 

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