常識について。
-愚者と賢者-
りりっこは基本的にヒトに
よっぽどのことがない限りは
「それくらい常識だろうー」
って言わないように心がけています。
ついつい、あまりにも知っていて
当たり前のことを知らない相手には
口に出してしまいそうになりますが
その「知っていて当たり前」っていうのは
多くの皆は、自分をベースに考えていると思います。
以前、こんなことがありました。
酢豚を作るので、
酢豚用の豚肉の買出しをヒトにお願いしたのです。
酢豚用といえば、まあ、
普通はブロック上のコロコロとしたお肉を指します。
スーパーにも『酢豚用』っていうお肉が売っているくらいです。
しかし、その人が買ってきた豚肉は
ぺらぺらの豚肉でした。
りりっこは憤慨しましたが、
しかし、この相手は料理を知らない人間なのでした。
なるほど、確かにりりっこは毎日
自分の食べるものを自分で作っているので
酢豚はこのお肉を使うというのは「常識」ではありましたが
そうではない相手にはそうじゃないかもしれません。
りりっこは、酢豚の豚肉がブロック状というのは
「常識」だと思うんです。
でも、知らない人がいるわけです。
他にも拾ったお金を自分のモノにするのは
犯罪だって知らない人がいました。
拾ったモノは交番に届けるのが「常識」ですが、
それを知らない人がいました。
何故なら義務教育内容に法律の授業があるわけでもないので
結局のところは「独学」で学ぶのがほとんどだからでしょう。
基本的なことも知らない人はいます。
りりっこだって知らない法律はいっぱいあります。
また、ある女の子は
因数分解をできませんでした。
因数分解は義務教育過程で学習するものですが、
それを知らない人がいました。
また、ある成人男性は
漢字の読み書きができませんでした。
(列記とした日本人です)
また、ある成人男性は
ローマ字の読み書きができませんでした。
りりっこがそのローマ字を読んであげると
『すごい! 英語がよめるんですね!』
とか褒められました。
英語じゃありません。
りりっこは上記の例は
当然、成長の過程で習得・学習しているものだと思うので
常識だと思うのですが、
それはりりっこが思うだけであって、
必ずしもそうではないと思うのです。
逆に多くの人が知っているであろう内容でも
りりっこが知らないモノはあります。
たとえば、テレビに映っている芸能人とやらの名前は
りりっこはほとんど知りません。
タシロマサシとやらはよく知っていますが、その程度です。
ある名前を出されて、
それを知らないのは常識がないと言われるのは
大変、腹立たしいものです。
もちろん、如何なることでも
知っているに越したことはないので
目に掛かる度に覚える努力はしますが。
常識という言葉は難しい。
自分が知っていて、更に自分の友達も知っているからといって、
それを知らない者を
『非常識』と呼ぶのはサルでもできます。
相手にその知がなければ、
分かり易く説明すれば良いのであって
簡単に『常識知らず』と言うのは非常に頭を使っていない発言だと思う。
常識を口にするニンゲンほど、『常識』を守りません。
慎ましく生きているフリをして
食前に『いただきます』と手を合わせたり祈ることができなければ、
平気で食べ物を残します。
食べ物は皿に残すのは非常識です。
もちろん、悩み、悩み、考え抜いた末に
相手を「非常識」と呼ぶのは構いません。
それがその人の出した答えだというのなら。
あまりにも頭を使わず
感情のみで自分の異なるモノを排除する姿勢が好ましくないのです。
が、やはり、考えればそれでも良いとも思います。
所詮、ニンゲンは自分の生き方は自分で決めます。
学ばず生きるというなら、それもよろしいでしょう。
りりっこに剣を突き立てるのなら、
こちらも剣を突き反しましょう。
まさか、ヒトに剣をつきつけて
自分は刺されまいとは言わせません。
「それくらい常識じゃないか!」
とりりっこに剣を突き立てるのなら、りりっこの常識を持って応じて差し上げましょう。
もちろん、それが正しい言葉だと思えたのなら素直に考え直しますが。
常識とは難しいものです。
さっき食事の時にテレビを見ていて思いました。
愚者は安易に断言し、賢者は熟慮します。
大切なのは
常識なんて人それぞれっていうよりも
相手の立場でモノを考えることだと思う。
正義でも悪でも。
そうすれば、恋愛もうまくいくし、ヒトとのコミュニケーションもうまくいくし
自分の理想も現実させやすいでしょう
そうですね
すくなくとも
相手の気持ちを推測する努力もできないやつは
非常識でしょう。
これはそういうお話。