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ヒトの死について。 

   -目指すモノ-

 

 

ヒトの死について。

どうして、

明日も平和に朝日が昇ると盲目的に信じられるのだろう。

 

 

大事なものは失ってから初めて気づく。

世の中には慢心しているニンゲンが多いと思う。

 

…という、りりっこも気をつけてはいるつもりだけど

どこかで気が緩んでいるのかもしれない。

 

不幸や人災にあったヒトの遺族はよく

「昨日までは○○だったのに…」

と言っているのを、メディア越しに聞く。

 

 

昨日平和だったからと言って今日も平和とは限らない。

今日が幸せなら明日それが覆されないとは限らない。

場合によっては明日は自分が死ぬかもしれないし、

状況が重なればヒトを攻撃しなければならないかもしれない。

 

 

常に大事なものを守り抜く精神は

努々忘れちゃいけないはずなのに、

平和であることを当たり前のように感じるニンゲンが多い。

…なんてことを書きながら、りりっこもそうかもしれない。

 

 

ただ、如何に注意を払おうとも

努力を忘れなくても、

やっぱり不幸というのはやってくる。

ニンゲンだから。

 

 

 

もしも、自分の大事なヒトが死んでしまったら。

自分の命よりも大事なニンゲンが死んでしまったら。

そんなこと考えたくもない。

 

 

が、考えてみた。

常に人生というのは覚悟を忘れちゃ駄目だと思う。

 

 

今日、自殺しないで生きることを選んだ以上、

あらゆる悲しみが起きることを覚悟しなきゃいけない。

それが人生と戦うということだと思う。

 

 

普通のニンゲンはいつか死ぬ。

絶対とは言い切れないけど、 多くのニンゲンはこれを避けられない。

大体のニンゲンは死にます。

 

 

もし、自分の大事なものが死んだ時、

そんな時は自分も死にたくなるけど。

 

 

 

静かに黙って脳みその中で

暗く悲しいシミュレーションをしてみた。

そうだ、死ぬ前にすることが

残っている。

 

 

その人がしたかったことを、

その人の名前をもって完遂する。

 

 

ニンゲンはいつか死ぬ。

そんなことは少なくともりりっこの友人方は心得ている。

それでも、生きているんだ。

なにかしらやりたいことがあるんだ。

 

 

大事なのは死という結果じゃない。

なにを生み出せたか。

なら、りりっこは

その人の名前をもって、その大好きなヒトがなしえたかったものを代わりになしえましょう。

 

いや、代わりにというのヤだな。

一緒に、だね。

 

 

その人が生前作りたかった、

構想を描いていた作品を

夢に手を取り、

名作に仕立ててみせましょう。

 

 

それがなにを目指していたか。

それが分かり合えるのが親友だと思うし、運命共同体だとも思っている。

 

 

ただ、死者を悲しむだけだと

きっとりりっこの友人方は喜ばないでしょう。

 

 

これはそういうお話。

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