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絵描きの話。 

   -戦いが好きなヒトと、勝つのが好きなヒト-

 

 

絵を描く友達で多いのは

よく紙に鉛筆でさらさらっと落書きをする人。

りりっこはそういうことは

生まれてからほとんどしたことがない。

 

この落書きが好きなヒトっていうのは

主にキャラ絵を描いてて

原稿でもあんまり背景とかを描くのが好きじゃなければ

ペンいれも嫌いらしい。

 

非道いヒトに至っては

漫画のネームを描いたら、

それでおなかいっぱい満足になって

完成するまでに飽きてやめるヒトがいたりする。

 

逆にりりっこは

作っている途中は

嫌々描いているとは言わないけど、

めちゃくちゃ楽しいわけではない。

 

昔からそうだったんだ。

じゃあ、なんで描いているかっていうと

描くことそのものが楽しいのではなく、

完成予想を頭の中で描いて、

その完成の瞬間を心待ちにして、うきうきしているから描くんだ。

だから、背景を描くのも、キャラを描くのも

あくまでプロセスの一部として同位なんだ。

 

そして、一番楽しいのはできあがった瞬間。

 

もちろん、落書きが好きなヒトも

完成した瞬間は嬉しいだろうし、

りりっこも描いている途中、不快な想いをして描いているわけではない。

ただ、その比重が大きく違うのだろうとは思う。

 

これはゲームでも似ている。

よく、「こういうヒト」は

りりっこの勝つためのゲームの遊び方を

「楽しんでいない」っていう。

○○のほうがゲーム楽しんでいそうと思うかもしれない。

 

そういうヒトらは

ゲームの「プレイ方法」を楽しんでいるのだと思う。

 

りりっこは違うのだ。

勝つ手段を論じること、考察することが楽しいのだ。

だから、楽しんでいないわけではない。

楽しんでいるのだ。

楽しみ方が違うだけなんだ。

 

如何にして勝利をもぎとるか、

手元にある素材、確立、ゲームのルール、状況から

もっとも勝利が高い可能性を弾き出す。

その計算過程を至上の楽しみとする。

 

時々、生き方に美学がない、なんて言われるけどそれは違うのだ。

可能な限りノーコストに近づけ、

可能な限り100%に近づけ、

可能な限り効果を高める。

その数値の高さを維持、

もしくは更に上昇させることがりりっこの美学なんだ。

 

相手よりも上に至った時の快感。

作品が完成した時の充実感。

 

だけど、やっぱり

所詮程度の問題なわけで

プレイングを楽しんでいないわけではない。

 

自分を殺して、自分の嫌いな手段を取ってまで

勝利したいわけじゃないんだ。

 

だから、りりっこは

大学にいって、国のえらいさんになりたいとは思わないんだ。

 

自分の好きな素材を使い、

これらによって、如何に最大効率を叩き出すか。

これがりりっこの楽しみ方なんだ。

 

それでいて、

ゲームなら相手も楽しめるのならもっと良い。

相手を楽しませることも目的のひとつなんだ。

 

りりっこはなにがなんでも勝利し、

相手には、

「ああ、こうも完璧に負けたのなら気持ちいい」

と思わせるくらいにしたい。

 

だからこそ、

ゲームにおいては

美しく、見事な連携プレイを決めて

勝利したいんだ。

 

 

だからこそ、政治家になりたいって思わないんだ。

 

 

これはそういうお話。

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