- 世界の底辺 -

E章 回り、廻り、周り続ける歯車。


 レイチェルはコーヒーを口にし、苦さに顔を顰めた。

「シュガーは乙女の大敵…」

 氷雨の言葉を思い出し、砂糖を入れなかったらとても苦かった。

「この苦さはまるで人生のよう」

 優雅にコーヒーを口にし、自分でも驚くほど爽やかな微笑みを顔に出せた。

 この人生は虚無だった。他の三人のように陰鬱を抱えているわけではなかった。ただ満たされなかった。

「なにやら騒がしいですね。リアニメイト?」

 リアニメイトはやはりなにも答えない。レイチェルの傍に立っているだけだ。いつもそうだ。

 レイチェルは守りたかったもの、未来に繋げたかったものを遠に失っている。だから虚無なのだ。

「…………」

 手元には銅の剣が一本ある。エルリが殺されたあの場で拾ってきたのだ。

 不思議な剣だった。

 憎悪に彩られているのかと思っていたが、驚く程普通の剣だった。だけど、違和感を覚えたのだ。

 銅の剣を装備し、捕らえてある『誰か』を試しに斬ってみた。

「@@@」

 『誰か』は悲鳴を上げるが、構わず斬ってみた。

 斬りつけるごとに『誰か』は体力を消耗する。当たり前だ。

「―――――」

 サイレンが鳴った。

 窓を開けた。

 強烈な日差しが差し込み、レイチェルは瞼を閉じた。

(いつの間にかお昼になってたんだ……)

 見下ろすと、変な女が塔から逃げ出していた。

 

 

 レイチェルに作戦会議室に呼び出され、氷雨とひなたは彼女の到着を待っていた。

「ねね、ひなた君?」

 退屈を持て余した氷雨が意地悪な顔をひなたに向けてきた。激しく嫌な予感がした。

「う?」

「お尻、だいじょぶ?」

「―――っっ!」

 胸がどくんと震え上がった。あんな恥ずかしい秘密が知られたのだろうか。

「お尻、ナイフで刺されたんでしょ?」

「な…な……な……」

 なんで知ってるの? その言葉が喉から出なかった。顔が熱で熱く赤くなったのが自分で分かった。

「ね? なんでも言うこと聞く約束だったよね♪」

「う…」

「ちょっとこっちにお尻向けて?」

「や、やだよ…」

「約束は?」

「うう…。な、なにするか教えて?」

「見るだけ。ね、見せて?」

 絶対に剥かれる…、そんな予感がひなたをどきどきとさせた。

「ひなた君、顔あかいよ?」

「は、恥ずいから…」

「さっさと見せて♪」

 おずおずと氷雨にお尻を向けると、さっそくズボンと下着を膝下にまでずり降ろされ、お尻を丸出しにされてしまった。空気がお尻に直接触れてぞくっと震えてしまった。

「お尻見られるだけで感じちゃうの?」

「そんなわけないじゃん…」

「ふーん? ちょっと広げて?」

「え…?」

「お尻。自分で左右に広げて?」

「や、やだ…」

 されるならともかく、自分からするということが卑しい。そんなことをさせられることが、たまらなく屈辱であり羞恥だった。

「うぅ〜…」

 そんなことはとてもできない。

「さっさとしないと…」

 ―――パーン!

「〜〜っっ?」

 お尻に熱い平手と、落雷のような激痛が走った。

「ああああっ……! い、痛ぁっっ…!」

「お尻叩いちゃうよー」

「ひ、ひどいよー…」

 痛くて目に涙を滲ませてしまった。

「もっかい叩いちゃおうかな〜?」

「ま、まって…」

 お尻を叩かれることが恥ずかしければ、痛みもとても我慢できるようなものではなかった。それに氷雨なら、見られることは嫌じゃなかった。

「あ、あの、氷雨ちゃん…」

「うん?」

「ホントに痛いから…変なことしないでね…」

「うん。わかてる」

 生唾を呑んでしまった。これから氷雨にお尻の穴を見られる。性器がびくっと震えた。

 お尻の両山に自ら手を掛け、左右に割り開いた。

「〜〜〜〜っ」

 穴に空気と視線が晒され、まるで心臓が鷲摑みされたようにドキドキとした。

「可愛いね、お尻の穴」

「は、恥ずいよ…」

 息苦しかった。羞恥が初めて恋をした時のように胸を熱く高鳴らせた。

「昼間からお盛んですね〜」

「―――――!」

 レイチェルの声にひなたも氷雨も声にならない悲鳴を上げた。ひなたは慌てて衣服を履き、お尻を直した。

「あ、あうあう…」

 レイチェルはこほんと咳払いをし、ひなた達の席の前に腰掛けた。

 レイチェルは眼を閉じ、顔を赤らめていた。気まずい沈黙が続いたが、レイチェルはやっと声を出してくれた。

「……宜しいでしょうか?」

 ひなたも氷雨もこくこくと頷いた。

 

 

「それではベリード・アライブ(生き埋め)に会いにいきましょう」

 ひなたも氷雨もはてと首を傾げた。

 ベリード・アライブ。

 生き埋めの名を冠したあの男がアバターを授けてくれた。これがこの戦いの幕開けだった。そもそも、アバターなどという超規格外のモンスターをどうやってあの男は作り出したのか。

「勇者達はどうするの? この塔、留守にしちゃっていいの?」

 この塔は誇りだった。世界の底辺に這い蹲っていた自分達が、世界中の他のニンゲンを見下せる位置にまで昇り詰められたのだ。

「そうですねぇ。しかし、仕方ないでしょう。塔はまた建てればよいのです。ここは放棄しましょう」

 レイチェルの意見にひなたも氷雨も頷いた。今までレイチェルの言う通りにしてきて間違いはなかった。

 だから信頼できるのだ。

「あの……レイチェルさん?」

「はい?」

「―――――――」

 信頼できるから、ひなたも氷雨もあの女とのことは全て話した。戦えば負けると決まっている戦い。そう 筋道が予め決まっているこの世界のこと。

「そんなことがあったのですか。分かりました。その疑問を解決するためにも、やはりベリード・アライブには会いにいかねばならないでしょう。アバターを生成した方法にその秘密が隠されている気がします」

 レイチェルの言うことならそれに従う。

 レイチェルの考えが間違っていてもいいのだ。それはレイチェルだけのせいではない。失敗は皆で取り返せばいいのだ。

「ひなたさんは優しいですね」

 そう言われたことがあった。優しさなんていらない。ただ、もう仲間や身内を失いたくなかった。

「では善は急げ。さっそく向かいましょう。車を用意してあります」

 レイチェルは立ち上がり、背を向けた。

「――――」

 その小さな背中に、ひなたも氷雨も背負われている。どうして、同じ年頃なのにレイチェルはこんなにしっかりとしているのだろうと、ひなたは時々自分が恥ずかしくなる。

「行こ?」

 氷雨に腕を引かれた。

「――――」

 世界が邪魔をするというのなら世界を滅ぼす。

 そして、氷雨とレイチェルは絶対に守り抜く。ひなたはそう決意した。

 

 

「―――――!」

 外に出ると暖かい空気に包まれた。

 落ちてきそうな程、透き通った青空が天いっぱいに広がっていた。

 すっかり夏が近づいていたのだ。

「ひなたさん?」

 レイチェルが首を傾げている。ひなたは「なんでもない」と言い、いつものワゴンに乗り込んだ。

「では行きましょう」

 レイチェルが運転する。

 こうやって三人でドライブするのは楽しかった。

「――――」

 最近、純白の姿を見なくなった。

 生きているのか、死んでいるのかも分からない。

「…………」

 ひなたは銅の剣を99本手に入れた。

 銅の剣を車から投げ捨てた。

 ひなたは銅の剣を99本手に入れた。

 銅の剣を車から投げ捨てた。

「……ひなた君、なにしてるの…?」

 隣に座っている氷雨が不安そうな顔をしていた。

「なんでもない…」

 世界を自分色に塗ってみたかった。

 だからたくさんの銅の剣を巻いて、世界を本来とは違う形に歪めてしまいたかった。全滅すると決まっている未来を変えてしまいたかった。

 ―――目を閉じると声が聞こえてきた。

 悪魔、『ベルフェゴール(?)』の声が聞こえる。

 ベルフェゴールは女性を嫌悪し信じない。そんな悪魔の声が聞こえてくる。

「@@@@@@」

 意味はよく理解できなかったが、悪魔が味方になってくれる。恐ろしくも頼もしい気分になった。

(私は…悪魔のように優しいんだよ…?)

 ―――――誰かの声を思い出した。

 藍那と似た誰か。藍那を得るために、ひなたが裏切ったあの女の子。

 悪魔のように優しかった女の子。

「ひなた君、どうしたの?」

「――――!」

 氷雨の声にひなたは我に返った。

 眠っていたのか、意識の中に落ちていたのか。時計を見ると随分と時間が進んでいた。ひなたは額に張り付いた汗をぬぐった。

「ちょっと考え事」

 銅の剣を車から投げ捨てた。

「もう着きますよー?」

 レイチェルの声に前を見ると、いつかの館が見えてきた。

「――――」

 古い洋館はあの時のままだった。

 まるでひなたの心の中のようにあの時のまま、時間を止めてしまっている。

 ―――銅の剣。

 ――――エンジェルハイロウ。

 ―――ベルフェゴール。

――ギザギザ。

 ひなたは鈍く痛む頭を抑えた。脳みそが気持ち悪いなにかに侵食されていく。

「…ひなた君?」

「……平気。はいろ」

 レイチェルよりも前に出た。女の子に守られるのは嫌だった。もう誰にも守られない。甘えない。依存しない。頼らない。涙を見せない。

 ひなたはレイチェルと氷雨を守るように前に出た。

 館の扉を秋田に開錠してもらい、先陣を切るように敷地へ足を踏み入れた。

 

 

 相も変わらず暗い照明の廊下だった。

 レイチェルは先頭を歩くひなたを見、悲しい気持ちになった。

 この男の子は決して『幸せ』になれない。そう思ったからだ。

 『ないもの』を追い求めている。

 ニンゲンは狂ったまま進化をし続けたから、幸せになることはできない。だけど幸せだと思うことはできる。ひなたはそれを放棄してしまっている。なにかへの強迫観念によって。

「――――」

 対して自分はどうなのか。

 世界に対し、一切の要求のない心。既に未来を託したかったものを失った。五体こそ満足に生き延びたけれど、心は死に絶え真っ白な灰になっている。

(リアニメイト)

 心の中でアバターの名を呼んだ。だけどやはり返事はなかった。返事のないアバター。返事のないあの男。あの時からレイチェルにはなにも残っていなかった。

 考え事をしている間にベリード・アライブの部屋に辿り着いた。

 ひなたは躊躇いもなくその扉を開く。

 ひなたもレイチェルも心が磨耗し壊れてしまっている。氷雨もそうだ。それが悲しかった。

 

 

 ひなたは扉を開け、部屋の中の空気を解放した。

「――っ」

 前に来た時は気づかなかった、髑髏を象るような捩れた瘴気が部屋の中に蠢いていた。

 部屋の中はひび割れた歯車でいっぱいだった。壊れた歯車が隣の歯車を壊していく。その歯車がまた隣の歯車を壊す。

 破壊の連鎖。壊れた歯車はまるで『ギザギザ』のようでもあった。

 ―――そして強烈なニンゲンの腐った臭いが鼻についた。

「@@@@@@@@」

 男の声はよく聞こえなかった。

 ――ヤアイラッシャイ。

 そう言ったような気はした。

 この男がベリード・アライブ。アバターをくれた男だ。

 ―――なんで、君達がここに来るの? そんな話は聞いていないよ。

「貴方に聞きたいことがあり、ここまで来ました」

 レイチェルは恭しく答えた。

 ――なにかな?

「アバター、どうやって手に入れたのですか?」

 ――どうしてそんなことを聞くんだい? 作ったんだよ。

「アバターなんて無茶な力、ニンゲンには作れません」

 ―――ボクは天才なんだよ。

「世界に天才なんて存在しない。ニンゲン全てが無能なのです。あなたも私も。かの有名なエジソンやアインシュタインとて例外ではない。ただ、彼ら彼女らは己の性質を用途に合わせ『開花』させた。それが天才と世間に言われた。貴方はそうじゃない」

 悪の華の開花を思い出した。

 ――なにを言っているんだ?

「あなたは無能よ。アバターなんて作れない」

 ――それ以上の侮辱は許さないよ。

「失礼♪」

 レイチェルはにこりと笑った。

「今日は貴方を拷問に掛け、アバターの秘密を話させるためにやってきました」

「……っ」

 ひなたは胸に言葉の刃物が突き刺さったような気持ちになり、レイチェルの顔を覗いた。氷雨も驚いている。レイチェルが優しいのは仲間に対してだけだ。敵であれば決して容赦しない。拷問という冷酷な言葉がひなたの胸に突き刺さった。

 ――ゴウモン。コノボクヲ?

「そうです」

 ――――君は本当にバカだな。アバターを連れてそんなことをしにきたのかい? アバターはボクが作ったんだよ。アバターはボクの言うことをなんでも聞くんだよ。ボクはアバターを作り、神に認められ、『上の世界』に行けるんだよ。

「なるほど。『上の世界』なんてものがあるんですね」

 ――――残念。君たちの運命はどうやらここで終わるようだね。それが上の世界の方々が作った物語なのだろう。

「どうやってボク達を殺すのさ」

 ――アバターはボクの言いなりなのさ。

 ボクという同じ一人称が気に障ったが、それよりもひなたは秋田が気になった。慌てて秋田の方に振り返った。

「ひなた。逃げてください」

 秋田がガタガタと震えていた。

 ノワールもピクピクと震えていた。

 ―――――さあ、アバターよこいつらを殺してしまえ!

「@@@」

「@@@@@@@」

 アバター達は絶叫した。

 反射的にひなたは銅の剣を一斉に装備し、周囲に投げつけた。

「―――っ」

 甲高い音が鳴った。

 秋田が正にその鎌でひなた達を三人まとめて斬り殺そうとしていた。それを間一髪銅の剣が防いだのだ。

 ――なんだい、その剣。何故ただのニンゲンの君がそんな能力を…。まあ、アバターの敵じゃないな。殺してしまえ。ん? なんだ君は。何故命令を聞かないのだ?

 

 

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