いっこうえに戻る


 一日目 闇

 

 

 その「首の捩れた少女の死体」を見て、柘榴(ざくろ)は頭を横に振った。

 吐き気を催す死体だ。死体など仕事で見慣れてはいても、首が捩れてまでいては、やはり見心地の良いものではない。それが小学生高学年ほどの年端もいかない少女の死体なら尚更だ。

 柘榴は嫌悪を振り払い仕事に取り掛かる。死因を調べなければならない。

 生前はさぞ可愛かったのであろう。赤い髪の少女は目を大きく見開き、鼻と口と耳と目から血を流している。血塗れの顔。外傷は首の骨折か。

 少女の首筋に手を当ててみた。

 ぐにゃりと不快な肉の軟らかみが指先から伝った。まるで胎児のような肉の感触。軟体質であり、生温かい。

 指で押してみた。首筋の肉が醜く陥没する。

 顔面もそう、押せば押すだけ陥没する。粘土の如く少女の頭は変形していく。

 

 

 次に気づいた時、柘榴は事務所の椅子に座っていた。机に向かいながら眠っていたのだ。

「……」

 不快な夢だった。

 少女の首を触った時の柔らかな感触がまだ残っている。額の汗を拭い、辺りを見渡した。

 窓から見える陽は赤く傾いている。夕方になっていた。

 三階建ての自宅の二階部分を事務所として開業した仕事場も、今日だけは客が来なかった。窓から外を見下ろせば、燃えるような夕日に彩られた車や人が忙しそうに行き来している。皆、なにかに取り付かれたように行き来し続けている。

今日は客が来なかった。それもいい。良い休養にはなった。

 柘榴は壁に掛けられた医学会の勲章を見つめ、すぐに頭を横に振った。今はもう野良医者だ。過去の勲章を散ら付かせても、まっとうな病院はどこも雇ってはくれない。金銭目的の非合法な病院に勤めるつもりもない。

 できることはこうやって事務所を構え、相談に来る客の心の治療をすることだけだ。それで満足だ。

 天が与えてくれたこの力。生まれた時から持っていたこの力。心の病魔を焼き払うこの力をせめて有意義に使いたい。

 大好きなあの少女と交わした約束だ。前を向いて生きる。

 

 

「ザクロ先生−っ! ただいまぁ!」

「……」

 また、うとうとと眠りに就きかけていた。勢いよく扉を開け、事務所に入ってきた少女の快声に柘榴は意識を引き戻された。

 助手のメイフェアだった。両手いっぱいに買い物袋を下げていた。近所のスーパーに寄って帰ってきたのだ。

「ただいま、せーんせ。今日特売だったんですよー。安く買えちゃったのでかなりお得でした」

袋の中にはたくさんの食材が入っていた。

 頭の中で「食材」と「贖罪」が交錯する。大好きだったあの少女が頭に過ぎった。

「おかえり、メイフェア」

「はぁい♪」

 にこっとメイフェアは笑った。赤い髪が揺れる。

「……」

 不意に夢を思い出した。首が捩れて死んでいた少女はメイフェアだったような気がする。悪い夢だ。目の前で笑う可憐な少女の顔を見ていると、夢の光景と重なり胃をざらざらの手で鷲掴みされたような嫌悪感を覚えた。

「先生、大丈夫です? お顔が優れないですよ?」

「大丈夫だよ」

 柘榴はなんとか作り笑いをしようとした。だけど頬の肉が緊張し上手く笑えない。

「んー。よくわかんないけど、じゃあ私夕食の準備をしますね?」

「ああ、よろしく」

 メイフェアは「ごはんごはんー♪」と唄いながら隣の部屋のキッチンへと駆けていった。

 

 

 柘榴はまた独りになった。

 頭が痛い。昔亡くした少女がメイフェアの両方と、夢に出てきた首の捩れた少女が重なる。後悔は消えやしない。柘榴は彼女を助けることができなかった。

 胃も痛くなってくる。

 独りは落ち着かない。メイフェアと話をしよう。夕食の準備をさせながらでも、柘榴の会話相手くらいは務まるだろう。

 柘榴はそっとキッチンへの扉を開いた。

「……」

 はなうたを鳴らしながら料理しているメイフェアは、コンロを使っていなかった。その手から髪と同じ色の紅蓮の炎が吹き上がっていた。炎が食材を焼いている。

 柘榴の全身の至る所の毛が逆立ち、冷や汗が滲み出てきた。

 駄目だ。

 あの炎は駄目だ。メイフェアは生まれ持っての特殊体質で、両手から炎を発火できると柘榴は聞いていた。何度か見たこともある。駄目だ。あの炎は駄目だ。

 柘榴はあの炎が怖い。あの炎を見ていると目が眩む。好きだったあの少女を焼き殺した炎を思い出すのだ。

 メイフェアの炎から柘榴は目が離せない。あれは魔性の炎だ。心を魅入られてしまう。炎が怖いのに、そこから目が離せないのだ。

 動悸が激しくなっていく。眩しい炎は柘榴から急速に視力を奪っていく。眩しくてなにも見えなくなってくる。まさしくそれは明るい闇だ。

 駄目だ。

 柘榴は扉を閉め、事務所の椅子へと戻った。

 

 

 時刻が十九時を回ったころ、柘榴とメイフェアは食卓に向かい合い、テレビのニュースを見ながら今日の夕食に箸を進めていた。メインは前日から煮込んでいた肉じゃがだ。

 美味いのだ、メイフェアの料理は。

「あ、そうだ、思い出した。先生?」

 メイフェアの手料理を食べ、彼女と談笑していると思い出したようにメイフェアは切り出してきた。

 スープを啜りながら柘榴は返事した。

「なんだい?」

「明日先生に看て欲しいって患者さんいるんですけど……どうしましょ?」

「構わないよ」

「はぁい。ではそのようにお伝えしときますねー」

「よろしく頼むよ」

 メイフェアはにこにことしている。柘榴がスープを啜るのを嬉しそうにじっと見ている。

「おいしいですかー?」

「ああ、おいしいよ。最高だ」

 や〜ん、とメイフェアははにかんだ。そんなメイフェアを見ていると柘榴も心が癒される。

「せんせい? 顔がにやけてますよー?」

「そんなことはないぞ」

「きゃは」

 メイフェアと一緒にいる時間は充実する。彼女が助手で本当によかった。


 

 二日目 幻炎

 

 

「ざくろせんせー? こちらが患者さまですわ」

 メイフェアに呼ばれ、石榴が診察室に入った時にはもう、患者の少女のカルテは出来上がっていた。メイフェアが書いてくれたのだ。すぐにでも石榴は診察に取り掛かれる。

 労いの言葉をメイフェアに掛け、石榴はカルテに目を通す。

 ストレスによる胃腸の痙攣、とだけ書いてあった。ふとメイフェアを見ると、暇を持て余しているのか、両手から炎を出し、患者の少女に見せて驚かしていた。

 あの炎は見たくない。石榴は顔を背けそうになりながらも、ちゃんと注意しておいた。室内で火を出すな、と。

「では診察を始めよう。メイフェア君は私が…えーと、氷室さんだね。私が彼女の中に入り込んでいる間、外の番を頼む」

「はぁい」

 石榴は患者の少女の前に座った。随分とやつれている。目の下にはクマまでできていた。目も赤い。たくさん泣いたのだろう。

「ええと、念のため確かめておくよ。私がこれから君に行うのはカウンセリングでも医療行為でもない。直接、君の心の中に入り、心の病魔を破壊する。君の心、つまり完全なプライベートな場所だ。あと人間には記憶だって残しておいたほうがいいものもある。場合によっては私はそれも破壊する。確認しておくよ。構わないのかい?」

「お願いします…」

 少女はこくっと頷いた。

「では失礼」

 石榴は少女の額に手を当てた。

 これが石榴が天より授かった力だ。

 

 

 石榴は暗黒の世界にいた。なにも見えない。

湿気が強く、石榴の全身に水気が纏わり付く。非道く湿々としている。ここがあの少女の心の中なのだ。

この世界の何処かにいる病魔の元を叩く。石榴は仕事を完遂すべく、前に進もうとした。

「……」

 少女の世界はまるで泥濘だった。泥のような地面が石榴の足に粘りついてくる。石榴はなんとか足をあげ前へ進んだ。

 前、といっても世界は完全な闇だ。不快な湿度と足に纏わり付く泥濘以外なにも感じない。だから石榴はこういう時、いつも大体の当たりを付けて歩く。慎重に、だけど無駄な動きを取らぬよう迅速に。

 ずっと歩いているとやがて灯かりが見えた。

 近づいてみる。灯かりに見えたものは炎だった。燃え上がる炎が暗闇の中を照らし、なにも

 

 

 未完

いっこうえに戻る